このブログの最初のエントリーでも書いたとおり、私は美術大学の大学院まで出たにも関わらず、アーティストの道を断念し、無職期間を経てフリーターに、そして現在は社員として働いています。
いわゆる”一般的なルート”からはだいぶ迂回した道を辿ってきたのですが、今回は美大大学院卒業後の煩悶とした日々から企業で社員として働くようになるまでの経緯、その過程において実感した大事な考え方などを書いていきます。
長めのエントリーになりますので、一度に読み切れずともブックマークなどして、休み休み読んで頂ければ幸いです。
Contents
そもそもなんで院卒なのに無職になったのかって話
まずはそもそもなんで無職になったのかというところから。
私がなんで美大の大学院を卒業後に無職になったのというと、シンプルに「就業意識を持たず大学院まで進学し卒業したから」です。
私は高校時代からずっと美術作家になると思って生きて来て、それでなんとなく順調に進んできてしまったので、大学院卒業の際も「就職する」という考えを受け入れることがどうしても出来ませんでした(そういう自分を育ててもいませんでした)。
だからといって作家としてやっていくあてがあったワケではないんですが、なんとなく「何かで生活費稼ぎながら作家活動していくんだろうな」くらいのリアリティのない認識のまま学校を出たんです。
その「生活費を稼ぐ」ってのがどれだけ大変かっていうのは卒業後に嫌というほど思い知るのですが、本当に出る時はそれぐらいのスタンスでした。
このくらいの感覚で卒業するって恐らく美術大学ではそんなに珍しくないと思います。
だから私個人は卒業後に無職になったのはある意味自業自得の当然の帰結だと思っていて、あの頃の自分自身に対して「もっと考えとけよ」って突っ込むことはあっても、いわゆる「社会のせいだ」みたいな認識はほとんどありません。
まあ「美術家としてやっていける」っていう幻想を抱かせ続けた周囲の環境を責める気持ちは多少あるかもしれませんが。
今思えば、在学中からずっと自分の中では「美術の世界でやっていく実力を自分は養えていない」という不安はあったんですよね。
そこで自分を省みることをせず、自分の理想像に執着して大学院卒業までなあなあのまま行ってしまったのが、どっちつかずのまま足場を築けなかった原因だと思います。
ただ、「体裁としては順調に進んでいる物事」を自分の判断で止めるっていうことが難しいことであるのも事実ではあると思います。
次のパートからは順を追って、私が働けるようになるまでの道のりを辿っていきます。
職歴なし無職混迷期
大学院卒業直後の無職時代
2010年頃なんのしっかりした展望も持たないまま大学院を卒業した私は「アルバイトでもしながら制作を続けていくか」というだいぶぼんやりした方針の元、アルバイト探しを始めました。
始めは学生時代に貯めていたお金が多少あったこともあり、就学就業の義務から解放された生活を楽しんでいたのですが、当時リーマン・ショックの影響による不景気で求人があまりなく、アルバイトですら中々決まらない日々が1ヵ月ほど続くと、不安で頭の中がいっぱいになり、焦燥感に駆られるようになりました。
周りに似たような境遇の友人がそんなに居なかったこともあり周囲に相談することも出来ず、また時々友人とあっても自信を失っているため萎縮して上手く話せないという悪循環に陥り、ノイローゼというか、対人恐怖症というか、そういった状況に徐々に追い込まれて行きました。
当時の生活といえば、朝起きてから求人サイトなどで求人を探して→応募して→履歴書書いて→面接受けて→落ちて→また求人探して。。。のループで、それ以外はほとんど人とも会わず、一日中部屋でパズルやってたりするワケだから、そりゃノイローゼにもなるわって感じですよね。
今思えば、コンビニなど身近で比較的求人の多いアルバイトで社会性を担保しながら、将来の構想を練れば良かったのだと思います。
しかし、当時は学校や会社など社会的な共同体に所属しないということが実際にどういうことなのか、さらにそれが自分のメンタルにどんな影響を与えるかといったことに対して全く無自覚だったため、そういった臨機応変な対応を取ることができませんでした。
恐らく、口では「バイトをしながら作家になる」と言いながら、自力でそれを達成する自信が持てていなかったから、その現実に直面するのが怖くて、そういった地に足をつけた行動を取れなかったんだと思います。
そして、そんなこんなで仕事をしない日々が3ヵ月ほど続き、貯金も目減りしてくると、私は気持ちも体も衰弱しきってしまい、もはや仕事が決まるうんぬんの前に、たとえ決まっても新しい環境でやっていくことなんてできないだろうというくらいボロボロの状態になっていました。
もちろんその間制作なんて1ミリも出来ないし、何一つ前向きに考えることが出来ないしで、本当に重苦しい日々でした。
ただこの時期に、自分自身のメンタルの傾向や生活することに対する認識の甘さが露になって、社会に所属することの必要性を実感できたことは、良かったなと今は思います。
生活がままならなくなって実家に出戻る
アルバイトさえ見つからず疲弊仕切っていた私は、ついに半年後に貯金が底をついたこともあり、親に泣きついて東京から地方の実家に帰ることになりました。
◆出戻り直後
実家に戻ってスグは、1人で生活を成り立たせることが出来なかったことへの挫折感でいっぱいで、打ちひしがれた気持ちで毎日を過ごしました。
シャツ1枚買うにも親からお金を借りなければならず、税金も立て替えてもらう始末。というよりそれまで学生という身分によって長らく様々な社会的な事柄を回避してきた私は、住民税がどういうものかすらわかっておらず、正規のルールに乗っ取って社会生活を送るのにどのくらいお金がかかるかをこの時初めて知りました。
もちろん泣きつける親がいるだけ幸せだという見方もあると思うのですが、それを前提にしても、20代半ばにもなってさすがにこれは恥ずかしく、本当に情けない気持ちで毎日を過ごしていました。
◆仕事探しを始める
引っ越して1週間ほどが経ち生活が落ち着くと、まず地元でアルバイトを探し始めました。
半年間の就職活動で精神が疲弊していた当時の私は、どうしても正規の社員として仕事を探すという重圧に耐えられる状態ではなく、採用されるということに現実味も自信もなかったので、まずは接客業のアルバイトからでも社会復帰をしようと考えました。
しかし、ここで地方ならではの現実に直面します。
接客業に従事している人たちの年齢層がとても若いのです。
アルバイトは皆10代〜20代前半。店長ですら私より年下というところがほとんどでした。
20代半ばで正規の就業経験がない男性がアルバイトを希望しているということ自体が珍しく、面接に行く先々で相手が困惑するのが分かりました。
幾つも面接を受けましたが、「ちゃんと正社員の仕事を探さないとね」なんて諭されたりするばかりで、仕事は決まりませんでした。
◆部屋にこもる昏迷期
そんな自分が置かれた現状に直面して、私は現状をどう受け入れていいか分からず、部屋にこもるようになりました。
毎日目が覚めると、焦燥感と葛藤が胸の辺りでうずいて布団の中で身悶える日々が続きました。
将来有望だったはずの10代の頃の自分を省みては「こんなはずじゃない。どうしてこうなったんだ」という想いが沸き上がり、やりきれない気持ちから自分や周囲への恨みにも似た気持ちも抱きました。
今思えば、年齢の問題ではなく、どうやって生きていくのかを自分で決めず、いわゆる甘えたスタンスでいたことが、この時アルバイトすら決まらなかった理由だと分かります。やはりそういうのは言葉や雰囲気に出るから。
ただ、この時まで長らく「理想を追うこと」それ自体を生き方としてきた自分にとって「実際に実現していくこと」に強い恐怖や抵抗を感じるのは、自然なことだとも思います。良い悪いではなく。
ほんとうにこの時期はもどかしくて鬱屈してました。
再び東京での仕事探しを始める
地元で仕事が見つからなかった私は、その現状をどうにか抜け出そうと再び東京で仕事をする道を模索し始めます。
◆まず始めたこと
当時かなり行き詰まっていて正直ビジョンなど何もなかった私は、とりあえず自分の条件にあった求人サイトや就職エージェントに登録して、東京のアルバイトの求人を漠然と閲覧することを始めました。
これも別に「東京で働くぞ!」みたいな気概があったわけではなく、「現状の苦しさから逃れるために何かする」くらいの現実逃避的な行動に近かったと思います。
アルバイトという雇用形態を選んだのは、これまでの経緯から鑑みて、自分は社員として採用されるバリューを持ち合わせていないだろうという現実的な実感に基づいたものからでした。
とにかく「無職で実家にいる」っていう自分の現状が受け入れられなくて、そこから抜け出したかったんですね。
そこで選択肢として浮かんだのが、年齢や生き方に対して地方ほど偏見が厳しくない東京という場所だったんだと思います。
それでその求人の中で応募出来そうなものにポツポツweb上から応募していくようになりました。
◆面接のために高速バスで東京に通う日々
そんなことを続けるうち、応募先のいくつかの会社から面接の案内が届き、その度に高速バスで4〜5時間かけて東京に通うようになりました。全部合わせれば5、6回は往復したんじゃないかと思います。
面接先の会社でもそんな遠くから「アルバイト」の面接に応募してくる人なんて珍しいみたいで、毎回驚かれました。
応募と面接を繰り返す中で、自分の経歴が社会からどう見られているかも分かってきて、最後の方は応募の時点で面接に呼ばれるか呼ばれないかがほぼ分かるようになっていました。
平たくいえば私が面接に呼ばれる求人の業務は「単純作業」でした。
データ入力とかテスターとかですね。
それは別に悲観的なことでもなんでもなく、どちらかというと自分が業務内容を読んで「この仕事なら出来そう」という実感とだいたい一致していたので、自己認識への確信を得たような感じでした。
そういった東京に通う日々を1カ月半ほど続けたのち、あるモバイル系のIT会社にwebサイト運用のアルバイトで採用してもらうことができました。
◆再上京
一度東京での生活に挫折していたこともあり、再上京するかどうかは実は非常に悩んだのですが、他に糸口がなかった為、かなり葛藤しながらも採用して頂いた会社で働くことに決め、実家に戻ってわずか3カ月後、再び東京に引っ越しました。
この頃はまだ「こんなの自分の思った道じゃない」っていう思いもありましたし、社会生活に対する自信を失っていたこともあって、不安とか不満とかで内心はごちゃごちゃでした。
普通に毎日会社に通って働くということをシュミュレートしたこともなかったので、その生き方をしてる人の価値観も本当にまったく分かっていませんでした。
ただ入社後に人事の人に聞いたところによると、その会社の面接官の2人は、人事の方の「遠方に住んでるからやめた方がいいのでは」という進言を振り切って、「いやこの人で」と採用を即決してくれたそうで、当時のそういう状態の僕にそういう機会を与えてくださったことに本当に感謝しています。
最速で最適な求人検索なら『ギガバイト』
フリーター時代
27歳でデータを流し込むだけのアルバイトを始める
そんなこんなで再上京した私は、27歳にしてフリーターとして働き始めました。
◆萎縮しまくりのスタートと初めての仕事
出社初日、新しく働くオフィスに足を踏み入れた私はガチガチに緊張していました。何しろ美大の大学院を卒業してからの約9カ月あまり、面接に落ちまくり、否定され続けていたワケです。”社会”に弾かれ続けた自尊心はもうボロボロで、「働く人」として持てる自信なんてどこにもありません。
綺麗な人事の人に案内されてオフィスを移動し、自分の席に座ってからも、周りにいる同僚が全員ちゃんとした「スゴい人」に見えて、恐縮しまくり、萎縮しまくりでした。
私が入社したのは社員数500人前後の企業で、モバイルコンテンツの配信を扱う部署のニュースコンテンツを扱うチームに配属されました。
仕事は通称「マツさん(仮)」という30代後半の女性が丁寧にレクチャーしてくれ、緊張しながらも基本的な部分は割とすんなり習得することができました。
私が任された業務を要約するとシンプルに「データの流し込み」。これだけです。
- クライアントがアップロードしたデータをダウンロード
- データを管理画面からモバイルサイトに流し込む
この2つの作業の繰り返しで9:00〜18:00(休憩1時間)の8時間勤務が終わります。
必要な技能と素質は「パソコンの基本操作」と「真面目さ」のみ。
なんのキャリアもない自分が採用されたことにも合点がいきました。
今思えば信じられないくらい単調な業務なのですが、とにかく会社という場所を監獄のような場所として誇大妄想的に畏怖していた私は、「ちゃんとやらなくちゃ、ちゃんとやらなくちゃ、ちゃんとやらなくちゃ」という頑ななまでの思い込みの元、この業務に打ち込み、おずおずと社会人生活をスタートさせたのでした。
◆当時の生活状況と心がけていたこと
当時のお給料は時給1000円でそれに時々残業代がつく程度。基本8時間勤務なので、手取りにすると月給15万弱くらいが平均でした。
当時住んでいた部屋の家賃が6万円弱だったので、生活費だけでカツカツだったのですが、27歳で就労経験のない自分がそんなに高い給料を要求できないことは分かっていましたし、当時は精神的に追い詰められていて正直条件などを考える余裕もなかったので「生活できればよし」として、暮らしていました。
当時私が働く上で意識していたのは「とにかく働き続けること」それだけでした。本当に視界は真っ暗で、様々なメディアの仕事に関する記事を見ても、「20代後半でフリーター」になった先の明るい見通しを書いてあるものなんてありませんでした(いや、あったんだと思いますが、当時の私の目には入りませんでした)。
今になれば実際の人生はそんな1つや2つの論説なんかで一括りにできないほど本当に多様で、27歳なんて凄く沢山の選択肢があるとわかるのですが、目標であった美術家になれず、指標を失って俯いていた私にはそれらの選択肢は全くといっていいほど見えていませんでした。
ただ、本当に生きるため、なんとか自分で暮らしていくために、自分の中の最低ラインを「とにかく出社して8時間勤務をすればOK」と定めて、1日1日をこなしていました。
同僚と会話をせずデータを流し込み続けた3年間
◆誰とも話さず過ごす日々
働き始めた当時の生活は本当に単調なものでした。
この頃の1日のスケジュールを簡単に記すと
・6時起床
↓
・9時出社
↓
・18時退社
↓
・帰宅後夕食
↓
・23時就寝
という感じで、これをひたすら繰り返していました。
会社の同僚と話す会話も事務的な業務連絡のみ。その業務自体もwebサイトへのデータの流し込みで、毎日ひたすら同じルーティンの反復でした。
休みに会う友達もそんなにおらず「3週間くらいプライベートで私的な会話をしない」なんてこともザラ。本当にこの時期はなんのために自分がこんな風にして暮らしているのかもわからないまま、その日を凌ぐように生きていました。
◆会社が「怖い場所」ではないと気づく
そんな日々ではありましたが、続けているうちに自身の内面に少しずつ変化が起きてきました。
まず最初に実感したのは「会社は思っていたほど怖い場所ではない」ということです。
私は端的に言えば「自由になりたい」という欲求から美術家の道を目指したクチだったので、「会社に入る=型にハマった窮屈な生き方」というイメージが頭にこびりついていたんですね。
そのことが「就職する」ということに拒否反応を示していた最大の要因でした。
しかしいざ会社組織に入ってみると、ことのほか会社は社員に干渉しておらず、やることやってれば意外と自分の裁量で好きに過ごせました。
「IT」という業界自体の持つ過去の日本企業の慣習みたいなものを気にしない風潮も肌に合い「思ってたより全然心地よいな」と思ったのを覚えています。
会社って、もっと体育会系的な集団としての行動を求められる「怖い場所」だと思っていたのですがそんなことはありませんでした。個人的な印象でいえば学校より全然自由です。
◆仕事って色々ある
あともう一つ感じたのは「仕事って想像以上に色々あるんだな」ということ。
それまでは「会社仕事」というと、「スーツを着て取引先に営業」的なステレオタイプなイメージしかなく、「内向的な自分に会社勤めは無理だー」と思い込んでいましたが、実際の組織には外向きな仕事から内部を管理する仕事まで細々と色々な仕事があり、机に向かって思索をすることが好きな自分にもできる仕事は沢山あるんだなと知りました。
なんかこう書くと当たり前のことなんですが、実際に仕事がどう回ってるかって、意外と学生で会社組織にちゃんと触れたことないとわからないんですよね。
メディアの報じる「会社」のイメージに翻弄されて実態とかけ離れた「恐ろしげな虚像」だけが膨らんでいくみたいな。
実際の「仕事」が自分が思い込んでいたよりはずっと”気楽なもの”だと知れたことは、私にとって大きく、アルバイト契約でも「働いて自分で自分の面倒をみれている」という事実が、少しずつ自信を積み重ねていってくれた気がします。
◆
結局私はこの「データ流し込み」の仕事を丸3年続けました。
本当に単調で、「バリバリ仕事したい」という人には到底満足できない仕事だったかと思いますが、それまで「社会」から隔離された状態に置かれていた私にとっては、良い距離感で少しずつ「会社」や「社会」というものに触れられる丁度良い仕事でした。
今思えば、あの3年間は、社会復帰のリハビリとして私の現在の土台を作るのに必要な時間だったのだと思います。
地道に日々を重ねていくなかで「会社というものへの先入観 」「働くということへの誤解」「自分が特別な存在であるという思い込み」など、様々なものが解け、少しずつ「自由」になっていったように思います。
もしいま進路に迷い本当にどうして良いかわからなくて、突破口が見えない人がいるとしたら、「アルバイトでもなんでも良いから自分ができそうな仕事を見つけて、それを続けてみること」を進言します。
そういう困窮した状況の時、雇用形態だとか、年齢に見合った立場だとか、そんな周りの目を気にした意識は全然重要じゃないんです。
もう先を走る同年代と比べることはきっぱりやめて、自分の現状と向き合って、そこから足場を地道に作っていくことの方がずっと有効。
そのためには「自分で」何か続けてみることが、シンプルですが一番明快な方法かなと思います。
余談ですがこの時期、私は大学の同期とはほとんど会っていません。
自信を持って会うことができなかったというのもありますし、会うとどうしても周りと比べて劣等感を感じてしまう部分があったので、そんな自分への仕打ちをわざわざするのは時間的にもメンタル的にも”ロス”だなと思っていたからです。
それぐらい「自分で自分のことをやるしかない」と割り切ることが、この時の自分には必要でした。
最速で最適な求人検索なら『ギガバイト』
初めての”転職”、そして現在
◆転職のきっかけ
そんな感じでアルバイト生活を続けていたわけですが、丸3年が経つ頃に転職をすることになります。
転職のきっかけは3年間担当していた業務がなくなり、別の業務への異動を提案されたこと。
その会社で仕事を続けるという選択肢もありましたが、3年が経ち自分自身が変化を求めていたこと、ここで辞めないと辞めるタイミングが無くなりそうだなと感じたことから「辞めます」と上司に伝えました。
あの時はなぜか「環境を変えるべきだ」と強く思ったのを覚えています。
◆転職活動〜転職後
普通なら転職先の目星を付けてから退職を申し出るのがスタンダードなところを、謎の衝動に突き動かされて先に退職を申し出てしまったため、少し焦りを感じながら転職活動を始めました。
転職とは言っても、それまでアルバイトの経験しかないのでいきなり社員は無理だろうということで、同じWebメディア系でアルバイトスタッフを募集しているところに幾つか応募。
何社か選考が進んでいたのですが、面接後すぐに採用の連絡をくれた現在の所属先に入社しました。
入社時点ですでに30歳、雇用形態は時給1,000円のアルバイト。
ただ、すでに「一般的なタイムスケールとは大きくズレている」という認識があったので、特段悲観的な想いもありませんでした。
社員登用なども最初は特に期待しておらず「2年で先行き見えなかったら別に移ろう」くらいの気持ちでいました。
その気負いのなさが功を奏したのか、Web編集業務が自分の性分にハマり、単純に熱中してやっていたら2年後に社員に登用されて現在に至ります。
いま思えば、転職活動時から流れがスムーズでしたし、”自分に合った場所”に運良く当たったという感じだったのかもしれません。
結果論にはなりますが、自分の中に不満からではない「純粋な欲求」が湧いた時は、それは割と的を得ているのかなと思います。
仕事を見つける上で大切なこと
長くなってしまったので「フリーター → 社員登用」の経緯や業務の詳細については端折りましたが、これが私の大まかなジョブキャリアになります。
27歳で「就業経験なし無職」だった私が何とかかんとかここまで働いてきて思うのは、とにかく少しずつでも止まらず”自分に合う仕事”を探し続けることの大切さです。
私も最初アルバイトで入った会社は社風自体は全然合わなかったですし、飲み会なんかにも一度も行きませんでした。
それでもどうにか生活のために会社に通って「自分のお金でご飯を食べる」ことを積み重ねるうちに自信がつき、気づけば「経歴」が出来ていて、現在の会社への入社に繋がっていきました。
そういった試行錯誤をしっくり来るまで何社も繰り返したって良いんです。働き方を変えてみたって良いと思います。
真摯に今の仕事をやった上で、地に足を付けて次の一歩を出し続けていく。
そうやって「機会」を求め続け、様々な場を経験していくことが、本当に自分の求めていることを明らかにし、しっくり来る場所にたどり着く正攻法だと思います。
こんな風に書いてきましたが、私も今後またどのような道を進むかはわかりません。
これからの考察や今回のエントリーで端折ってしまった部分は、また後々書いて行きたいと思います。
最速で最適な求人検索なら『ギガバイト』
📕当時参考になった書籍📕
初めて記事を拝見させていただきました。
当方26歳の男です。
今自分もこの記事の初めと似たような状況に置かれており悩んでいます。
質問なのですが、初めのwebサイトのデータ入力のアルバイトの応募時及び働いている時点で資格などを持っていたりしましたか?
私が今働いているアルバイトは無資格で出来るスーパーのアルバイトなのですがいつか社会復帰して正社員になりたいのでその辺りが気になっています。
返事お待ちしております。
コメントありがとうございます。
ご質問に関してですが、現在に至るまでIT業界に関係するような資格は一切持っていません。
本当に丸腰で応募して、ひたすらデータを流し込むアルバイトをしていました。
記事の方に誇張なくかなり正直に書いているので、当時の詳細はそちらに譲りますが、会社の仕事で優遇されるような資格やコネはまったくなかったと言って良いと思います。
何か参考になれば幸いです。
お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
その身ひとつで今まで歩んで来られた事、凄く尊敬します。
大学時代に学んだ事も新卒で入社した会社とも関係ない仕事で身を削る毎日でしたので、この記事に出逢えた事は1つの光明なんだと私の中で思っています。
私がアルバイトに応募したのも、不安で頭の中がいっぱいになり、焦燥感に駆られるようになったと記事にも書いていらっしゃいましたがまるで同じ思いを抱いたかのような錯覚すら覚えました。
友達や同期と比べてしまって焦りがありましたが半年前から焦燥感は残るものの少し割り切れるようになり、アルバイトを始められました。同年代と比べてしまうこともありますが、自分の現状と向き合って、そこから足場を地道に作っていこうと思っています。
長文になりましたが、このような素晴らしいブログ記事を書いてくださったyuichiri7212さんに感謝を述べたいと思います、ありがとうございます。お蔭でこれからも少しずつ前に進める気力が出てきました。
丁寧なお返事、ご感想ありがとうございます。
私も大変励みになります。
気が向いたらまた当ブログを覗いてみてください。
個性的なたんさんさんの前途に幸あることを願っております。