考える日々

【発見】望みが本質的には全て叶っていたと気づいて震えた

実はここ2、3年悩んでいた。

次に自分が何がやりたいのかわからないことに。

新しいことを始めても、身が入らない、続かない、楽しくない

それでも何か始めなければと、YouTubeやビジネス記事、ネットで稼いでるという方々の発言などを見ては、紹介されている書籍などを買い漁る日々…。

そんな苦悶を抱えながら長らく過ごしていたが、最近ふと気づいてしまった

「自分はすでに満ち足りている」

ということに。

よくよく考えると、以前思っていた「望み」は本質的には全て叶っていて、もうそこには「目標」も「やりたいこと」もないのだということに

その事実を受け入れた時に、数年のあいだ自分が捕われていた悩みは霧散した。

悩んでる間自分が無意識にしていた思考

思えば悩みに捕われていた2〜3年ほどの間の私は「自分に足りないもの」を探していた。

美術作家を目指していた過去のイメージを引きずり、現状の自分の在り方に納得できず、「何を得ればあるべきはずの自分の姿になれるのか」と、自分に足りていないものばかりに目を向けた。

しかし、実は私が「美術をやること」で目指した将来の本質は「自分のことを自分で決められる自在な生活」であり、はたと省みてみると、会社で働くことで経済的に自立し、比較的広い範囲の物事を自分で決定できる今の現状はその「望み」をほとんど完璧に近い形で果たしているのだった。

そんな本質的には満ち足りた現状のなか、無理やり足りないものを探してきて自分にやらせても、身が入らない、続かない、楽しくないのも当然。
意識と実態がズレているのだから「次にやりたいこと」なんていくら考えても分からないし、しっくりこなくて当たり前なのだった。

現在地を起点に一歩を積み上げていく

いま自分に必要なのは、会社員として社会で成立している自分を受け入れ、そこをベースに目標ややりたいことにアプローチしていくこと。

もう「何者かを目指していた若者」の立場に戻ることはできない。
たとえ空想で意識だけ戻ることはできても、経験して成長した自分の全体はその過去のOSでは充分に駆動しない。

現状の自分の在り方を本質的な望みに沿ったものだと認識し、地に足を付ける。

そして、その現在地を起点に次の楽しそうなことやりたいこと、目標への一歩を実態を持って積み上げていく。

そうやってまた次の10年、ありたい在り方になっていけたらいいなと思う。

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